ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

7/12・歴史に立ち会った瞬間。(都知事選)

火曜日、鳥越俊太郎さんが都知事選への出馬の意向を示すべく、記者会見を行った。

櫻井パパに護ってもらった大手民法4局は、それを中継し、スタジオでは「野党分裂」を印象づけるコメントを繰り返し行っていた。

私は民法と、ネット中継を同時に点けていた。

鳥越さんの表明が一通り終わって、これから質疑応答という段になった所で、何か耳打ちされた鳥越さんが舞台裾を見るなり「ハハハ!」と笑った。

古賀さんさんがいらっしゃいました~皆さん!古賀さんがどうしてここにいらっしゃるのか、僕もわかりません!」

司会の女性も、あれ、ほんとだ!という感じで「ハハハ」と笑っておられる。

本当に突然現れたのだろう、正に「ひょっこり」と古賀さんが立っている。

鳥越さんに促されて舞台中央まで歩いてきた古賀さんは、差し出された鳥越さんの手をガッチリ握り、記者団に向かって、「私は以前から鳥越さんを応援して来た」旨をハッキリと伝えた。

「野党分裂」の印象を払拭する、天晴れな行動だった。

鳥越さんの質疑応答が終わる直前、

今度は、ジャーナリスト上杉隆さんの出馬表明会見が開始された。

こちらは大手民法では放映されず、ネット中継のみでの視聴になる。

鳥越さんと比べて閑散とした会場。

しかし、上杉さんの会見は、長い語り口でふるわない。おまけに司会からは、後ろもあるのでもう切り上げて欲しい、という催促まで来る始末。

普段の上杉さんからは想像も付かない、笑いを挟まない真面目な会見だった。

彼は、マスコミへの華々しい「お披露目」ではなく、都民に語りかけるような地道な「政策表明」を行ったのである。

上杉さんの会見が終わり、質疑応答になった。

会場で挙手しているのは只一人だけ、それが古賀さんだった。

鳥越さんが会見を行っているホテルから、上杉さんが会見している都庁まで移動して来ていたのだった。

しかし、上杉さんも古賀さんの名前を出さず、古賀さんも名乗らず、カメラは古賀さんの後ろ姿だけを映している。

ネット中継のコメントを見る限り、それが古賀さんだと気付いている人は少ない。

古賀さんは、鳥越さんの会見場と同じことをたずねる「野党共闘は視野にあるか、それに応じる意思はあるか」。

上杉さんは、「もちろんある、オープンな場でやりたい」と応えた。

古賀さんは本当に真の意味での官僚なんだなぁと感じた。

裏方や下働きが出来る人だ。

この古賀さんの働きは、後世、語り継がれる出来事になるんじゃないか、

いや、語り継がれなくても、私の胸には刻んでおこう、と思った。

上杉さんの話では、官僚を辞めた時に退職金を辞退したということだが、本当に誠実な人だと思った。

会場は、その後質疑応答に入ったが、今度は記者達が冴えない。

鳥越さんの会見で意気揚々と揚げ足取りをやってた記者達が(まぁ、同じ人ではないが)今度は逆に、上杉さんの「政策」があまりに詳細なため、記者達がツッコミたくてもツッコめないでいるのだ。

ところが、この地味だが素晴らしい記者会見、(古賀さんは「感銘を受けた。」と書いていた)この記者会見が、テレビでは全く放映されない。

野党共闘の以降を示している宇都宮さんを、もう出馬したかのように取り上げて、

小池、増田、鳥越、宇都宮 の四氏をスタジオに招いている。

翌日になっても、それは変わらなかった。

本当に腐ってるな、テレビ。

と思っていた矢先、なんと産経新聞(web版)が上杉さんの会見を大きく取り上げていた。内容も、改ざんされてない公正なものだ。

こんなこともあるのかね。

(もしかして「票を割らせる作戦」か、それに見せかけた記事作戦か?)

そういや、こないだもマトモな記事書いてたな、産経web

<産経ニュース(web)>

東京都知事選・上杉隆氏出馬会見(上)】

「もう党利党略はうんざり」「財源はある。私は知っている」

東京都知事選・上杉隆氏出馬会見(下)】

古賀氏のサプライズ質問に「政策論争喜んで」「ネットで新しいスタイルの選挙をやりたい」と意欲示す

誰かとどこかで

永さんも逝ってしまった。

小沢昭一さん、そして野坂に続き、

最後に残った永さんまで。

「誰かとどこかで」

戦争を語り継いだ、

このトリオに今度会えるのは、

終にあの世になってしまった。

またも野坂の死が重くのしかかって来る。

永さんを通じて野坂の存在を感じて取ろうとしていた、

その浅ましい根性に打ちのめされる。

今、改めて、この偉大なるトリオ(*)のご冥福を

心よりお祈り申し上げます。

野坂塾では何かトリオ名が付いていましたが、情けないことに思い出せないことに今気付きました。

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関連日記

おもちゃのチャチャチャ

罵倒、もしくは追悼。

・ 誰かとどこかで(この頁です)

「4歳と14歳で、生きようと思った」

今、石田純一さんの記者会見を視ながら。

マスゾエさんがいよいよ、って時に、

早々と通称櫻井パパを強烈プッシュしていた各局TV局。

言うに事欠いて官僚ならカネにクリーンだって?!

天下りに渡り、官官接待の末に「政治主導」とか言ってなかった?

自民党におべっか?

それにしては過剰すぎる異常すぎる。

なんて思っていた所、

彼(通称櫻井パパ)が電波オークションを潰した張本人(郵政・通信)だったことを知る。

マスコミってほんっとにマスゴミだな。

今、石田純一さんの会見を視ている。

テレビとネット中継と両方で。

予想外にマトモ。見直した。

父に似てる(顔も不倫も)ってだけで、今まで良い印象が全くなかった彼だけれど、

今画面に映っている石田さんは、ふつーの、只一人のオッサンだ。(あ、これは良い意味で。)

ああ、この人、育ちが良かったっけねってことを思い出す。

金持ち喧嘩せず。

しかし金持ちは貧乏人の暮らしを知らない。

しかし貧乏人はカネがいっぱいある状態に慣れてない。

トップリーダーとやらを選ぶのは、なかなか難しい。

石田純一さんが、自民党憲法改正案について、慎重にことばを選びながらも鋭く批判し始めた途端、

CM→別のニュースに変わったフジテレビ。

ネット中継では、石田さんの民主主義を死守しようとする静かなる発言が続いている。

一方、フジテレビは「石田さんってどうですか?」とスタジオの「あんまり、どうよ?この人?」という雰囲気を伝えている。

ほんっとにTVってゴミだな。

違法じゃないけど不適切

マズゾエさんの場合は、

賄賂じゃないけど横領ってことかしら?

小選挙区で言うならば、

そう、アレ、「違憲状態」。

違憲じゃないけど違憲の状態。

日本語ってすごいよな。

TVではタレント議員の写真を並べて「次の都知事は誰になって欲しい?」なんて街頭インタビューしている。

そして誰かが「ビートたけしさんが良い」なんて答える映像が映ってる。

・・・タレントってすごいよな。

・・・ってかパンピーってすごいよな。

パンピーってことば、初めて使ったけど、こういうことか?

マスコミが作り上げた市民で無い誰か、パンピー

もしくは、

四角い牛乳瓶に入ったみかん色の飲み物、パンピー

分相応。満足と幸福。

俺様は頭が良くて優秀だ。

俺様はこの国を引っ張るリーダーだ。

だから公費を使うのは当然のこと。

それだけの貢献を、

俺様は十分にしている。

けど、本当にそう思っているのなら、

法スレスレに逃れるような、

ちまちました各種工夫を凝らすだろうか。

しかも自ら。

一方、自分が彼の立場だったらどうだろうか。

小役人や秘書やら税理士やらに色々入れ知恵されて、

最初こそ「え? いいの? 」と思っているものの、

そのうち、「それが当たり前」になってしまうのではないか。

当然のように、

家族旅行を経費で落とし、

視察と称して展覧会に行く様になるのではないか。

そう思うと恐ろしいので、

私は「偉くならない」を信条としているのです。

なんて書くと、

「そりゃ、負け惜しみでしょう」と言われそうですが、

そしたら「はい、そうです」と素直に応えられます。

然し乍ら、

「本当に偉い人とは、全く偉ぶらない人」

私の周りにはそういう人が少なからずおられるので、

「小者は偉くならないことだ」

と心から思えるのも事実です。

私は本当に人に恵まれているなぁと思います。

「第三者の厳しい目」

弁護士は依頼人の弁護をする人だ。

しかも自前で雇った弁護士が「第三者の厳しい目」にどうやったら成り得るのだろう。

記者は何故そこを突っ込まないのだ。

記者は既に「第三者の厳しい目」を失っている。

私達が「しっかり」しなければ。

片桐はいりさん

片桐はいりさん

彼女が登場すると、その顔面の迫力に誰もが一瞬釘付けになり、思わずくすっと笑いたくなってしまうんじゃないだろうか。

その彼女が、今日は例のあの一節を暗唱し出た。

原始、女性は実に

    太陽であつた。

 真正の人であつた。

  今、女性は月である。

他に依つて生き、

   他の光によつて輝く、

 病人のやうな

   蒼白い顔の月である。

寝っ転がって、寝ぼけ半分で録画を視ていた私の右目から、涙が伝っていた。

俳優さんの底力によって昔のことを思い出す。

朝ドラのヒロインは現在、女学校の五年生。

新学年の教室で、片桐さん扮する東堂チヨ先生は、床にあぐらをかいてみせて女学生の目を白黒させます。

そして、

「みなさんは、周囲の考える、女生とはこうあるべきだ、という定義を疑ったことがありますか?」

「誰でもできることを、女性だからできない、してはいけない、と、決めつけてはいませんか?」

と問うたのです。

……私も五年生の時でした。

新しく赴任した女の先生が、

新学年の担任になって間もなく、

「お味噌汁、お茶碗、お花……なんで“お”をつけるのか、味噌汁でいいじゃないか」

とおっしゃったのです。

残念ながら、私は五年生は五年生でも女学校の五年生ではなくて、小学校の五年生でしたので、

その時、主人公のようにらいてうの書と出会うことはなかったのですが、

今朝のヒロインと同じ様に、何か頭の中が変わってしまったのです。

尤も、ヒロインは「清々しい気持ち」になったそうですが、

私の方は、中半脅迫的に「お」を取って話すようになり、

以来、「ねばならない」が一つ増えてしまう結果となったのでした。