ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

吉田拓郎がテレビに出てた。

もし自分がバラバラ死体になって発見されたとして、

右手だけとか、右脚だけとかで、

あの人は私だと気付いてくれるだろうか。

そんなことを考えるようになったのは、

20代の前半からだったか、

もしかするとまだ10代だったかもしれない。

先日、テレビで吉田拓郎を視た。

テレビに出ているその人は、

吉田拓郎だと言っているし、

共演者の人もそう言っているし、

画面右隅のテロップにもそのように書いてあるし、

唄っている映像が流れた時には、

ああ、確かに拓郎の声がしているようなんだけれども、

その顔は、

どうしたって拓郎その人とは一致しないのであった。

それにしても、

今、テレビに映っている人が拓郎だとして、

拓郎は、今70歳だと言っているけれど、

当時と同じキーで唄っているんじゃないか、

ひょっとして、当時より高い声なんじゃないか、

いや、

高く聞こえるだけなのかもしれない。

拓郎の拓郎たらしめる、

ノイズにも似た、

あの音(声)が聞こえない。

メロディにくっついて離れない、

あの、拓郎の音(声)が聞こえない。

けれども、

旋律は確かに拓郎の声なので、

「ああ、確かに拓郎かもね」

と思えるのだけれども、

その声を出している人の顔は、

拓郎その人とは一致しないのであった。

VTRでは、

各年代の拓郎の画像が流されて、

最後に50代の拓郎が映っていたけれど、

その時の拓郎は確かに拓郎なのに、

今、テレビ画面に映っている人は、

やっぱり私の中の拓郎とは一致しないのであった。

こういう時、

私はいつも、

右の脳みそと左の脳みそが

ちぐはぐになったような気持ち悪さに襲われる。

その気持ち悪い感じは27時間以上経った今でも全く消えなくて、

それでこんな夜中に起き出して、

1時間以上もかけて、

こんな日記を書いている。