2015年の春
<3月3日お雛祭り>
に便乗して、食卓だけは散らし寿司、蛤のお吸い物、ひなあられなど揃えてみました。
♪着物を着替えて帯び締めて♪
子どもの頃は、妹と揃いのアンサンを着せられて、お雛様の前で記念写真を撮ってもらったものでした。
けど、正直、雛祭りは嫌いだった。
学校に上がる前から、お雛様を出し入れするのは私の仕事だったから。
雛壇セットは当時流行った団地サイズのミニチュアで、一体一体の手入れにとても手間のかかるものだったし、
その他に、祖父、母、叔母、私、妹……女系家族全員分のお雛様(ケース)を飾り付けねばならず、
子どもにとっては(というか多分大人にとっても)大変な重労働だったのです。
私は毎年、お雛祭りが恐怖でした。
<3月某日恩師の古稀祝い>
久し振りにワンピースを着て爪を縫って真珠を付けて出席。
良いお式でした。
お招きどうもありがとうございました。
いつまでもお元気で。
もしお元気で無くなったら、お世話に通わせて頂きます。
<3月某日母の誕生日>
出先から、フラッと帰省しました。
本当は、ケーキもお取り寄せしてあったのに、それも取りに戻らずひょっこりと。
生誕の日と届け出の日と、
母には誕生日が二つあって、
そのどっちの日でもないけれど。
もう日が暮れていて、
母はお出かけを渋っていましたが、
ユニクロなら……と腰を上げたので、
そこに連れて行き、洋服を選んでもらいました。
ごめんね、ユニクロで。
母には随分酷い事をされて来ましたが、
それでも姉妹が競い合って母をもて囃し、取り合うのは、
一つはやはり母だと言うことと、
もう一つは、
やっぱり母が人間として、一枚も二枚も上手というか、
突き詰めて言えば、
やっぱり馬鹿で可愛い女だからなのだと思います。
<3月11日東関東大震災から4年目>
静かに黙祷しました。
震災の日は、先に書いた古稀のお祝いを迎えた恩師のお供をしていました。
私は帰宅困難者となり、妹宅に1週間程身を寄せていました。
もう、4年も経つのですね……
<きょうの3枚>
1枚目:お雛祭りのお吸い物。
私が子どもの頃の蛤って手の平くらい大きかったけど……今の蛤ってこんなに小さいの?アサリみたい。母に確認した所、やっぱり昔はもっと大きかったとのこと。
お雛様が終わると、この蛤の貝殻で、決まって母と手芸をしたものでした。
着物のサンプル(端切れ)を被せたりして……
2枚目:糠床の天地返し1
気持ちが大分元気になって来たので、ちょっと手仕事。
糠床をひっくり返して糠と塩を足します。
今回は、残ってる糠漬けの分量の1/3量~半分弱位を足しました。
倍量にする時には捨て漬けからやるのですが、今回は本漬けしながら熟成を待つという、超ズボラなやり方です。成功すると良いのですが。
この糠床も今年の夏でまる2年。
あれ?まだ2年なの?
3枚目:糠床の天地返し2
今、写真見てて思い出しました。
鷹の爪入れるの忘れた……
叔母が育てた唐辛子、随分前に頂いて大事に使って来ましたが、だいぶ減って来ました。
また、収穫させてもらおう…(^-^)