内から外へは行かずに中へ。
昔から、
男も女も(そして子どもも)昼夜働き続けていた香港では、
屋台でご飯を食べることが一般的になった。
日本では、
勤め人が増えた時代に、
専業主婦というのが出現して、
家の中で、家事や子どもや年寄りや病人の世話だけをやる女性、というのが都会を中心に増えて行った。
家からは土間や縁側が無くなって、
コンクリの中に住む世帯が増えて行った。
そして、
縁側の無い家の中から、
汲み取り便所が消えて行くのと同時か、少し遅れて、
年寄りや病人が家の中から消えて行った。
やがて、
「中食」と呼ばれる、それまでにないことばが出現した。
総菜や弁当を買って帰って、家で食べるのだ。
外食と自炊(内食)の中間だから、
「中食」と言うらしい。
お父さんだけが「勤め人」だったものが、
「中食」は多くの人々から重宝されているのだそうだ。
かつて、
インスタントのポタージュスープが売り出された時、
全く売れなかったそうだ。
それでスープの会社は、
「鍋にスープの粉と牛乳を入れて、一煮立ちさせましょう」と宣伝した。
全く売れなかった粉末の「スープの素」が、爆発ヒット商品になったと言う。
この「一手間」の強調(CM)が、
――お湯を注ぐだけで飲めるスープを鍋に移して調理まがいのことをする――と言った演出(CM)が、
インスタント=手抜きに抵抗があった主婦の罪悪感を和らげ、免罪符になったと分析していた人がいる。
今、居間のテレビでは、
買って来た総菜でも、「一手間」かければほらこんなに美味しく!
とか、
面倒な煮物も、「一手間」省けばほらこんなに楽にできます!
など、
「一手間」を巡るヒジョーにビミョーな駆け引きが繰り広げられている。
かつてのジェンダーとその亡霊は、一部の成功者を除いて、今も多くの女性達の手足にまとわりついて、彼らの手枷足枷になっているのかも知れない。
……香港の屋台では、今夜も沢山の人が半裸でご飯を食べているのだろう。