ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

新・殺される側の倫理

テロに巻き込まれたら嫌だとか、

世界が戦争状態になっちゃったらどうしようとか、

そんな風に考えられるのは、

今、私達が平和な側にいるからだ。

安全な土地で、祝福を持って生まれ落ちて来たからだ。

生まれた時から頭の上から爆弾が振っていて、

子どもの頃から機関銃を持ち、

親も殺され、きょうだいも殺され、

毎日毎日、

誰かが殺されたり殺したりしている日しか知らないで育ったら、

どうだろうか。

世界中でテロが起きようと、

世界中が戦闘状態になろうと、

きっと彼等にとって不都合は無いはずだ。

だって、

ただ、

他の土地も、自分達の生きているような状態になるだけなのだから。

今、嫌がっているのは、持てる側の者だけだ。

爆弾を体中に巻き付けて死んで行った若者達は、

生まれてから死ぬまで、

ほっとしたことがあったのだろうか。

一日だって、明日も生きている、そう確信した夜があったのだろうか。

もし、

生まれてから死ぬまで、

そんな風に思えた日が、

一度もなかったのだとしたら、

そんな人生を送った末に死んだのだとしたら、

そう考えると、私は涙が出て来てしまう。

悪人も、

正義の味方も、

彼等にとって、

どちらも爆弾を落として行く存在でしかない。

憎しみあっても憎しみは終わらない。

殺し合っても殺し合いは終わらない。

振り返ってみると、

LOVE&PEACEなんて言って歌っていたのは、

爆弾が落ちていたのが、

遠い南国の土地だったからなのだろうか。

自分の土地に爆弾が落ちて来たならば、

とたんにやりかえす、

そういうことなのだろうか。

想像しよう。

憎しみ合わない世界を。

想像しよう。

殺し合わない世界を。

そしてせめて、

子ども達だけでも、

爆弾の落ちてこない所へ、

移動させることはできないものか、

私達で考えよう。