プロパガンダ……
これまでも書いてきたのですが、私の母は空襲を経験しておりまして、
空襲警報から始まって、焼夷弾の雨、煮えたぎる川、真っ赤に燃えるリヤカーのことなど、毎日毎夜娘(私)に語って聴かせ、
私は戦争を体験していない「昭和42年生」なのですが、
母の語りはそれはそれは恐ろしく、私はその母の語りの空襲が擬似体験となって、今で言う所のPTSD状態になる程でした。
その母の口癖は、「戦争なんかだめだ。」、「戦争なんかしちゃいけない。」、「二度としちゃいけない、戦争なんて。」だった。
そして、どうやって日本国民が国に騙されて来たのかを語り、
「周りのみんながこっちだ、と言っても、何かおかしい、何か変だと思ったら、絶対にそれに流されてはいけない」
と、私を ” いざ、と言うとき「NO」が言える国民 ” に育てようと、普段から厳しく躾けたのです。
私の方はというと、また例によって第一子のねばねばスイッチが入ってしまい、
以来、学級会であろうが、お楽しみ会であろうが、おかしいと思ったら「NO」を表明せねば、また戦争になってしまう!と本気で思い込み、
そりゃもう、(体験したことも無い)空襲体験がフラッシュバックしちゃうわけですから必死ですよ、
かたくなに母の教えを守り実行し続けた訳です。
勿論、その場がしらけても、疎まれても、仲間はずれにされても、です。
「みんな仲良く一致団結して」
文句を言わずに長時間単純作業に適した工員を大量生産するという、当時の学校教育の中にあって、
このような独りデモクラティックな生き方を貫き通すことは、先生からも生徒からもよくは思われないわけですが、
少しでも、” みんなと同じが良い ” などと言おうものなら、母から酷く責められる訳でありまして。
今思うと、国家が戦争に突っ込む前に自殺しちゃう確立の方が高かったと言える学童期を送ったのでした。
で、その母が!
時の小泉政権の時、
コイズミの、というか自民党のでっかいポスターを部屋に貼り出し、
「テロは許しちゃいけないよ、絶対。」
などとのたまわったのです。
どの口が!!
その口が!!
あわわわわ……はらほれひれはれ……ぱぴぷぺぽ。
あんたね、人には茨の道を歩ませておいて、それですか?!
母は確かに面食いですが、
色男(しかもほぼバーチャル)を前にしては、
あの恐ろしい空襲の記憶もぶっ飛んでしまう程だったとは……
美男の力、拙者、正直、甘く見てました。
そりゃね、いろんなレトリックがありましたよ。
テロと戦争は違う、とか、さ。
国家間で宣戦布告してやる侵略戦争なんてもう禁止になって、だから「戦争」なんて表向きは無くなってて、テロなんて言ってるけどそれは戦争と同じか、それよりももっとヤバイものなんだよ、
とか、
きっと母にはピンと来ないんでしょうね。
ってか、もう恋する乙女には何言っても無駄です。
誠実・清潔・色男。
あんたね、父にもそうやってコロッと騙されてませんでしたか?戦争にも、色男にも散々な目に遭ったでしょう?忘れたんですか?
などとはその時はことばにならず、第一子は、あわわと泡食って驚くしか無かったわけです。情けなや。
※ 写真は四国新聞社さん「小泉首相ポスター大売れ/行列で自民笑い止まらず」の記事よりお借りしました。
このポスター、「母は一体、アレをどこで手に入れたのかしら?」と不思議に思っていたのですが、売り物だったんですね。今回、四国新聞さんの記事で知りました。
しかも50円。
抜け目がなさ過ぎる。
・ つづき:「スピンコントロール」