「ケッコンして幸せに」の意味。
私の家族は私が生まれた時には既に壊れてた。
いや、正しく言うと形成不全だったということなのかもしれない。
だからなのかは判らないが、
世の中では、
ケッコンと幸せは、
よくセットで取り扱われるんだけれども、
そのバンドル感は、
どうにも共有できないのだった。
だがしかし、
それが家族と呼べるのかどうかはわからないけれど、
お陰様で私達夫婦は円満で、
その夫婦円満が、
今の自分にとって、
どれだけの安心・安全・安定をもたらすものなのか、
それは夫婦円満が持続してみないことには解らない事だった。
ひょっとして、
あの時もこの時も、
やたらとケッコンを奨めていた世間様方は、
この安心・安全・安定というものを、
あの時の私に教えてあげたかったのだろうか。
私達両親の婚姻関係は、
私達姉妹にとって、
むしろ安心・安全・安定を脅かす元凶だったので、
どうにも私にはピンと来ていなかったのだが、
実はそうだったのだろうか。
あの時、あの人達の言っていた、
「幸せ」ということばの真相は、
この安心・安全・安定を指し示すものだったのだろうか。
・ 写真は1/11に彼とひいたおみくじ。1/2に母と一緒にひいた時は末吉でしたが今度は大吉でした。それにしてもおみくじが良い時でも良くない時でも引く前からなんとなく判るのはなぜだろう…。