ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

しあわせのインスタントぷりん

・ ひとつ前のはなしはこちらです

「昭和42年生」の私にとって、

ぷりんと言えば、牛乳湧かして粉入れて冷やし固める例のアレ

そしてカラメルは、附属の粉を水で溶いてかける例のアレ

それでも母が作ってくれた、母と一緒に台所で作った、インスタントのアレでした。

ところがこれは、実は偽物なのだと、

そう私に教えたのは母自身でした。

けれど、本物のぷりんがどんなものなのか、

幼い私には解らない、

ただ、これは本物じゃないんだと知っただけでした。

やがて上京した叔母が、

滋養の為と祖父に買って来るモロゾフ

アレが本物なんだろうか?

当時の私にはそんなこと、考えてもみなかったけど、

アレは子どもの口には入らない高級品でした。

家長で病身の祖父の口にだけ入る「お薬」だったのです。

そもそも、当時は玉子が貴重品で、

我が家では永らく、女、子どもの口には入らない食品でした。

玉子を食するのは家長である祖父と、跡取りである父の特権でした。

それも、毎夜の様に夕食後、小皿に乗せられた生卵がうやうやしく運ばれて、

二人揃って家人の前で飲み込むという、儀式めいた方法で食されてました。

玉子はやはり、我が家では滋養をつけるための「お薬」だったのでしょう。

彼は、

そんな私の「玉子への恨み、玉子への渇望、玉子への憧憬」が、

私をぷりん好きに導いたと思っているようですが、

私はそうではないと思っています。

母と作ったあのぷりん、

牛乳を沸かして粉を溶いて冷やし固める、

玉子の要らない、本物じゃないプリン、

妹はまだ生まれていない、

母と二人、女中の様に肩寄せ合って暮らしていた、あのイエで、

恐らく、姑の留守に、目を盗んで作ったインスタントのぷりん、

その時だけ、台所は二人のものだった。

幸せの時間、幸せの空間、

そして幸せの行為。

ぶりんは私にとって、幸せの食べ物なのでしょう。

「一番好きなス入りぷりん」につづきます。