ツイッターとかFacebookとか
友人と話していて、
と問われたので、
「昔の男に刺されると困るから、やらない。」
と真顔で答えたら、
友人が笑ってくれたので、
「…って普段は説明しているよ」
と、ことばを付け足した。
そしたら友人が、
「Facebookはともかく、ツイッターは匿名でも使えるし」
「あなたの分野では必要でしょう?やった方が便利でしょう?」
と、言いますので、
「うん、便利、便利、すっごく便利。みんな使ってる。」
「けど、私には、」
「私には、その能力が無いから。」
と言ったなら、
今度は、友人が真顔になってしまった。
私には、ことばだけで、しかも、活字だけで何かを伝える能力なんて無い。
って判ってる。
だから、分をわきまえて、
やらないって決めたんだ。
もしやったなら、きっと、とても疲れてしまう。
だから、やらないって決めたの。
と、ほんとのことを話した。
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幾度となく親しい人からすすめられた。
けれど、その度に私が考えたのは、
やってみようかな?どうしようかな?ではなく、
どうやって許してもらおうかな?
だった。
当時、ツイッターやFacebookを利用しない、という選択は、かなり不自然な行為と見られていたし、今でもそうなのだろう。
やってたけどもう止めた、という人は希にいるけれど、私の様に、最初からやらない、という人は私の周りではあまり見かけない。
友人の様に、仕事で使わざるを得ない、という人も多い様だ。
けれど、使っちゃいるけど、もう疲れた、という人はぼちぼち出て来た様なので、
近頃、私の“言い訳”は、
それらをやらない“理由”へと、
ゆるやかに格上げされつつある様な気がする。