生老病死、そして労働
昨今の「ワークライフバランス」とやらは、
働く=勤める
としている様に感じる。
私の生家は自営業、
両親の家も共に自営業、
子どもの頃のクラスメイトも殆どが自営業、
勤め人や役人の家の子は少数派だった。
なので、働く=勤める、という感覚には違和感があるのです。
そして昨今の「働く」は、
働く=賃金を得る
としている様に感じる。
働く、という事は、現金を得る行為のみを差すのではない。
若者も、中年も、年寄りも、子どもも、
それぞれが仕事をもっていて、
それぞれが働いていたのだ。
田畑を耕すことも、機を織ることも、
縄をなうことも、草刈りをすることも、
飯を炊く事も、庭を掃くことも、
病人の世話をすることも、
赤子を育てることも、
みんな尊い仕事であった。
それらは今、みな外注化されようとしている。
そしてその代価を支払う為に、
今日も家人は勤めに出る。
かつてはそこに安楽があると感じていたのだろう。
かつてはそこに文化があると感じていたのだろう。
かつてはそこに夢のミライを見ていたのかもしれない。
そのミライに生きる私は今、過去ばかりを思っている。
何が良いか悪いかなんてわからない。
ただひとつわかるのは、
生きてくのは結構大変だってことだ。
そして大変なことからは逃れられないってことだ。
今日も家は出払っている。