名も無き料理
NHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」が物議を醸し出しているそうですね。
時代考証がおかしくて、衣装だけのコスプレ大正ロマンだと評されているのをネット上で目にしました。
かく言う私も、これは確かに「コスプレ現代劇」と呼ぶのがぴったり来ると言う印象でした。
(と言うか、本当に「コレはないなー」の連続ですね、このドラマ。「昭和42年生」の私が育った昭和だって、コレは無かったよ、の連続です。)
ツッコミどころ満載ですが、そこはまぁ、ドラマですから…
…なんて、言ってられなくなりました。
ここ2回の放映はあまりに…これはもう、苺の品種がおかしいだの何だの、なんてツッコんで遊んでる場合じゃ無いって感じがして来ました、私の場合。
主人公のめ以子さんは─彼女は嫁ぎ先の上方でおさんどんを始める訳ですが─そのめ以子さんは、「三度、三度、美味しい物を食べること(提供すること)」に執着していて、「三度、三度、料理を作る」ことに日がな一日を費やしているのです。
こんな嫁、どこにいるんだよ、なんてツッコミは置いといて、
この様な感覚(「三度、三度、美味しい物を食べる」とか、「三度、三度、(何かを新しく)作る」と言うのは、全く現代的な感覚なのでは無いかと思うのです。
身体を動かして仕事をすれば、ご飯は常に美味しいものですから、
ご飯に味噌汁に漬け物で十分美味しいはず、
それに本来、日本のお菜は日々足していく物ではないでしょうか。
旬の食材が基本ですから、それをずっと使っていく事になるでしょう、
同じ野菜でも工夫して、
一度出したお菜でも工夫して、
一度使った素材もすぐに捨てないで工夫して、
日々、常備菜に何かを足して行くのが日本の台所ではないでしょうか。
そしてその多くは名も無いお菜(おかず)です。
何か目的を持って買い物をし、名前の付いた料理を作る、これはたまの贅沢や、ハレの日だけだったのではないでしょうか。
「昭和42年生」の私が育った家はそうでした。「ご馳走」が日々の食卓に並ぶ様になったのはつい最近の話しです。
朝は納豆、夜は芋の煮物と決まってて、
女、子どもは冷や飯、
時々するのは湯豆腐でした。
私の家は職人の家ですが、友人の農家にしても同じ様か、もっと変化の無い食卓だった様です。
私の中(うち)には、何か名前のついたものを作る時が「料理」という感覚があって、
それ以外の日々のお菜は、「支度」と言った方が馴染みます。
料理はもっともっと、日常生活に溶け込んだもの、息をするようなものです。
と、昨日、ここまで書きましたがupしませんでした。
ところが先ほど、今朝放映分のお昼の再放送を視て、やっぱりupしようと思い直しました。
あの、関東の者でも始末くらい知ってます、
それから、茶碗蒸しは我が家では「ご馳走」でした、それもご馳走中のご馳走でした。
失礼、ちょっと気持ちが抑えられない様です。
もう視聴するのは止しとこうかと思います。