ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

知識と知恵は私を救ってくれる

知識と知恵は私を救ってくれる。

ある事をきっかけにそう思う様になった。

それ以前は、マンゾクな自分を恨んでいた。

叔母の話によると、私は幼児の頃、幼児語を話さなかったそうだ。

「オハナ、オハナ、」

通常の幼児がこの様であるならば、私は、「このお花綺麗ね」と言ったそうだ。

母は「気味の悪い子どもだった」と言う。

舅の癇癪も姑の仕打ちも小姑の性悪も、そして夫の不甲斐なさも総て理解したと言う。

たった2つ3つの子どもが、二代、三代に及ぶ不幸の連鎖を理解して、母の聴き役をこなしていたと言う。

母は私に愚痴を垂れ流しながら、一方で「気味の悪い子だ」と思っていたと言う。

私は狂ってしまった祖父や父を心底羨ましく思ったし、

バカでおしゃまな妹─と言うのは当時の印象で、勿論妹はごく普通の愛らしい女児だった─を羨んだ。

何でも理解する自分を恨んだ。

そして勘の良い自分を恨んだ。

一家の複雑な関係を総て理解し、その時々で「秘密」を守って母の都合の良いように何でも出来る、自分が恨めしかった。

大人になってある友人と出会った。

友人の姉は知恵遅れなのだそうだ。

献身的に姉の世話をしていたのは彼らの母だった。

母はつきっきりで姉の面倒を見ていたそうだ。

母と娘はいつも二人で一人だった。

しかし、ある日その母が亡くなった。

姉はわぁわぁ泣いた。激しく泣いた。泣き叫んだ。

悲しいからではない。亡き母を呼んでいるのだ。

姉には母の死が理解出来ないから。

姉はわぁわぁ泣いて、ただわぁわぁ泣いて、今日も母を呼んでいる。

ここまで聴いて、初めて友人の姉を哀れに感じた。

黒く冷たく深い淵に落ち込んで、街角で気が遠のいた。

都会の固い歩道に膝を付いて、

そして初めて思った。

理解出来るのは幸いだと。

理解出来る事は Gift なのだと。

どんなに悲惨な光景でも、

どんなに信じがたい言動でも、

どんなに惨く醜く汚く、見たく無い、知りたく無いことでも、

理解出来ると言う事は幸いだと、

それが私に授かった、生きる為の術なのだと、

理解したのだった。