鬱病で死んだ祖父。
私の祖父は鬱病で死んだ。
正しく言うと死因は老衰だ(多分)。
ある夏の晩、床の中で死んでいた。
でも、祖父は死ぬその瞬間まで鬱病だったと思う。
鬱のまま、死んだ。
もう、80を越えて衰弱していたけれど、呆けてはいなかった。
鬱だから、人とは話せなかったけど、呆けてはいなかったと私は確信している。
鬱が酷いから、自ら死ぬことも出来ない。
ただ、無抵抗に横になっているだけだ。
そうして十年も床に伏せって、そのまま死んだ。
祖父は一度入院したことがある。
その時は褥瘡になって帰って来た。
褥瘡は、背中の肉はおろか、骨まで露出する程酷いものだったが、
祖父は一度も痛いと言わなかった。
うめくことすらなく、
ただ、変わらず無抵抗に横になっていた。
祖父が最期に発したことばは何だったのだろう、
私の記憶に残っているのは、「食えない」だ。
その時も、恐らく祖父は「食えない」と言ったのだろう、
ある日、食べたがらない祖父に父が癇癪を起こした。
その頃の祖父は、まだかろうじて起き上がる事が出来ていた。
床の上だったけれど。
祖父は、父にされるがままに乱暴され、
終わるとまた横になっていた。
やがて起き上がる事も無くなった祖父は、
祖母が口に運ぶ粥をもごもごしていた。
長い長い時間をかけて、床で一口の粥を飲み下していた。
もう、ハンストする元気も無くなってしまっていたのだろう、
その一口が、彼の苦しみを繋いでいた。
やがて粥も食べなくなって、
最期に祖父が飲み込んでいたのは餡子玉だった。
大変なお坊ちゃんで、
寝起きでグズってあーんと泣いたその口に、
羊羹を放り込まれて育った人なのだと、
生前の祖母が、面白可笑しく教えてくれた。
羊羹は当時大変な贅沢品だったそうだけど、
今は一つ百円にも満たない、菓子の中でも尤も安い餡子玉が、
彼の苦しみを繋いでいる。
あの小さな餡子玉を、祖父は一体何回に分けて食べていたのだろう、
その頃は、食べかけの餡子玉をよく家の中で目にした。
近年、鬱に効く薬や治療法が次々に開発されて来て、
あの時、もしこれがあったら祖父は…と思う事がある。
と同時に、いや、だがしかし…と思う自分もいる。
私の祖父は鬱病で死んだ。
正しく言うと死因は老衰だ(多分)。
けど私は、祖父は死ぬその瞬間まで、鬱病だったと思っている。