冷や麦うでて考える。
9月1日、起きたら夏でした。
嘘です。
やっぱり今日から秋。空気が違います。
用事で百貨店へ。
間違えて降りたフロアは催事場、偶然、お中元の解体セールをやっていました。
これも夏の始末の一つでしょうか、
我が家のお昼は一袋100円の冷や麦になりました。
鍋にたっぷりの水を湧かして塩を入れる。
差し水をしながら茹で上げて(*)、
ざるに空けたらこれまたたっぷりの水に取り、麺をゆすぎます。
ザルに上げたら今度は流し水、ザーザーと流しながら腰を入れ、結構な力で更に洗って行きます。
最後は一口分づつお体裁良く束ねてザルに上げます。
すぐ食べる分は…今日は水に浮かべましょうか、折角だから。
冷や麦・素麺等、冷たい麺が好きな彼は、美味しい、美味しいと言ってこの哀れな夏の供物を食べています。
ふと、「冷や麦って他の国にもあるのかな?」と彼が問い、
「似たような物は沢山あるんじゃない?」と答えました。
「そういえば、インドネシアにもあったかな?でも…」と、彼は眉間に皺を寄せています。
(なんか違う)って顔してる。
「水が違うからさ、」と私は彼のモヤモヤに助け船を出しました。
「ああ、そうか、水が不味いから…」と彼が納得します。
「似たような麺は他の国にも沢山あるけどさ、こんな風にキリッと粋な感じでは食べられないよね」
と、私は水の中から冷や麦をすくってふと考えました。
もしかしたら、粋ってことばは水と関係があるのかもしれないね…
(*) 「茹でる」:私の故郷では「茹でる」と書いても読みは「うでる」なのです。