ガキの使い(豆腐屋編)
子どもの頃、よくお使いに行かされた。
一番緊張したのは豆腐屋だった。
家を出て、隣の家を越え、一つ目の角は真っ直ぐ、長屋の前を通ってその路地を抜け、左に曲がると何軒目かにあるのがお豆腐屋。
たったそれだけの道中だけど、まだ3つになったばかりの私には、とても遠い道のりだった。
豆腐屋に着くと「オ豆腐、一丁クダサイ」と母に教えられた通りに言う。
すると白い前掛けをつけたおじさんが、やおら奥から立ち上がり、
大きな大きな水槽に腕まくりした腕を沈める。
水槽には、長い長い豆腐が横たわっている。
おじさんは、眠っている龍を起こさぬ様に、そっと水面近くまで抱き寄せる。
赤ん坊をあやすように、そして騙すように水の中で遊ばせて、
そうしておいて位置を決めたが最後、あっという間に龍神様の首を落としてしまう。
首は更に二分され、それぞれ1丁の豆腐になる。
おじさんが持ち帰り用のビニール袋に片方を入れ、少し水を足す。
「もっといっぱい入れてクダサイ」これまた母の言いつけ通りに言う。
「そりゃ、一杯入れた方が崩れないけど…」
おじさんは何かブツブツ言いながら袋に水を足してくれた。
帰り道。
豆腐のことばかりに気を取られ、側溝にハマってわぁわぁ泣いた。
慌てて長屋中の人達が飛んで来てくれる。
泣いたのは、痛かったからじゃない。
豆腐を崩してまた叱られるのが怖かったからだ。
側溝に落ちた瞬間、手を思いっきり上に上げたつもりだった。
けど豆腐は地面に叩き付けられた。また今日も怒られる。
しかしその日、母は叱らなかった。迎えに来た時も、帰った後も。
それがとても不思議だった。
※ 「昭和42年生」の私にとって、庭掃き、お使いは日々のしごとでした。色々な所へお使いへ行かされましたが、豆腐屋は兎に角緊張を要するものでした。豆腐を崩さず持ち帰る、ただそれだけのことですが、当時の私にとっては大変な困難を極める“大仕事”だったのです。