“田舎暮らし”のイメージ
今日、友人と久しぶりに話していて、
“田舎で育っていない人の田舎への憧憬”
みたいな話しになった。
平たく言うと、“田舎暮らし”に対するトンチンカンな思い込みやイメージ、みたいな話しだ。
何を以て“田舎”とするか、何を差して“田舎暮らし”とするかなど、細かい所はどうかご容赦頂きたい。
まぁ、思いつくままのおしゃべりなので、ひとつ、お許し下さい。
曰く、
・ 田舎の人は温かくて親切、何でも受け入れてくれる
・ 田舎の人はのんびりしてる、田舎の暮らしもゆっくりしてる
・ 田舎暮らしは癒される
などなど。
そんなのは嘘だよね、という話しだ。
いや、嘘じゃ無い。
実際、田舎の人はのんびりしてるし、田舎の暮らしはゆっくりしている、
けど違うんだ。
その違いは住んでみればわかる。というか、土着民で無いとわからないかもしれない。
回覧板は回ってくるし、輪番でゴミ当番やらドブさらい、冠婚葬祭に自治体活動、結構めんどくさい。
ご近所づきあい、隣組、お体裁にお土産に噂話に余所者排除、結構嫌な部分もある。
第一プライバシーもへったくれもない。そもそも鍵なんか、かけてないし。
“田舎”は、アミューズメントパークやリラクゼーションルームとは違う。
“快適”なサービスを提供してくれる場所ではない。
消費者ヅラなんてしてられない、
自分自身が構成員となって共同体に奉仕しなければならない場所なのだ。
自己犠牲の上で成り立っているのが本来の共同体、“田舎暮らし”というものだろう。
しかし、誤解を恐れずに言うと、そこには民主主義があると言ってもいいかもしれない。
ただし、市民(citizen)で構成された近代的な民主主義ではない。
しくみとしては欠点だらけかもしれない。けど良んだ。私にはそれが合っている。