不死鳥…世相を反映した演出─3
妹尾さんの“自伝的小説”『少年H』の、どの部分が“自伝”で、どの部分が“自伝的小説”なのかは私には判りませんが、
つまりは妹尾さんの“想い”みたいなものがどの程度フィクションとして“小説”の中に織り込まれているのは判りませんが、
その“小説”を更に映画にした訳ですから、そこから更に映画制作者の手による“演出”が加えられる訳で、それがまたどの部分なのかの判断は付きかねますが、
例えば焼けたミシンがもう一度使えるとか、最後の不死鳥のエピソード(*)とか、原作には無かったんじゃないかなぁ、
世相を反映した“希望”的演出なのかなと感じました。
一緒に観た彼が、
「戦争映画に救いは要らない、悲惨で滑稽な様を只描けば良い」
と言っていましたが、私も基本的にはそう思います。
けど、あまりに悲惨な状況を(記録映画としてで無く)、興行映画として仕立て上げるのですから、何かしらの“希望”や“救い”という演出は、ある程度必要なのかもな…とも思います。
でも、出来たらその演出は無理に現代に引きつけたりしないもの(世相を反映するものではなくて)の方が良いなぁと思います。
* その後、映画館でもらった号外(写真3枚目)を読んでいたら、「『悲惨な出来事を描いた作品の最後がなぜフェニックスなのか?』という質問に、監督は、「戦争の後、廃墟から人々は立ち上がって、今また悲惨な震災の後に立ち上がろうというメッセージを込めてあのラストにしました」と答え」と言う記事がありました。
☆ 「4歳と14歳で、生きようと思った」につづきます。
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