ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

芸が無い人程芸人を名乗る

最近、「芸人」という肩書きの人がよくテレビに出てる。

漫才師でもなく、勿論落語家でもなく、

曲芸師でもなく、マジシャンでもなく、

「芸人」。

その、「芸人」を名乗る人達をテレビで観察してみた所、

どうもバラエティ番組などに出て、

「ちゃんと考えて見たら適当では無い適当な話しをしている人」

ということらしい。

そして、

こういう存在を「賑やかし」というらしい。

同じ様な肩書きとして、

「アイドル」というのがある。

その人たちは、

歌手でもない、

女優でも無い、

「アイドル」という人達である。

この人たちはテレビで見る限り「芸人」と同じ様な役割を担っているようだが、

「芸人」の人達と絶妙に住み分けているらしかった。

子どもの頃、

お正月が好きだった。

それはテレビで漫才や曲芸が見られるから。

「昭和42年生」にとって、

お正月は代表的なハレの日だったのである。

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関心空間が最後の日に、まだじたばたしております。

これから「はてな」への引っ越しを試みてみます。

戦後を知らない子ども達。

戦争を知らない子ども達。

私は「昭和42年生」年生ですから、もちろん戦争は知りません。

けれど、「戦後」は知っている最後の世代かもしれません。

朝ドラの焼け跡の風景を見て、

どうしたって「戦争」を感じられないのは、

自分が育つ間に見て来た風景よりも、

ずっと小綺麗だからかも知れません。

テレビの中の「戦時中」よりも、

私が知ってる昭和の景色の方がずっと汚いし、不潔。

小学校のボットン便所には蛆がわんさか湧いてたし、

新宿南口方面は、なんとなく近寄れない、怖いエリアだったし、

池袋駅前には負傷兵が居たし、

校長先生は地雷で吹っ飛んだ戦友の話をしてくれたし。

テレビの中の「昭和」は、

まるで外国の家電のようにもて囃されたレトロな家電、

パーマネントにワンピース。

なのに玉子焼きを粗末に食べて、

地面は真っ平ら。

砂埃すら立たない。

そういうのも、

「戦後を知らない子ども達」世代の人達が

映像やセットを作っているからなのかなぁ。

汚いもの、

不便なもの、

不浄なもの、

忌むべきもの、

ケのもの、

あの人達は、

そういう感覚が絶対的に欠落しているんじゃないだろうか。

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※ 写真は全く関係ないけど。

戦後を知らない子ども達。の画像

吉田拓郎がテレビに出てた。

もし自分がバラバラ死体になって発見されたとして、

右手だけとか、右脚だけとかで、

あの人は私だと気付いてくれるだろうか。

そんなことを考えるようになったのは、

20代の前半からだったか、

もしかするとまだ10代だったかもしれない。

先日、テレビで吉田拓郎を視た。

テレビに出ているその人は、

吉田拓郎だと言っているし、

共演者の人もそう言っているし、

画面右隅のテロップにもそのように書いてあるし、

唄っている映像が流れた時には、

ああ、確かに拓郎の声がしているようなんだけれども、

その顔は、

どうしたって拓郎その人とは一致しないのであった。

それにしても、

今、テレビに映っている人が拓郎だとして、

拓郎は、今70歳だと言っているけれど、

当時と同じキーで唄っているんじゃないか、

ひょっとして、当時より高い声なんじゃないか、

いや、

高く聞こえるだけなのかもしれない。

拓郎の拓郎たらしめる、

ノイズにも似た、

あの音(声)が聞こえない。

メロディにくっついて離れない、

あの、拓郎の音(声)が聞こえない。

けれども、

旋律は確かに拓郎の声なので、

「ああ、確かに拓郎かもね」

と思えるのだけれども、

その声を出している人の顔は、

拓郎その人とは一致しないのであった。

VTRでは、

各年代の拓郎の画像が流されて、

最後に50代の拓郎が映っていたけれど、

その時の拓郎は確かに拓郎なのに、

今、テレビ画面に映っている人は、

やっぱり私の中の拓郎とは一致しないのであった。

こういう時、

私はいつも、

右の脳みそと左の脳みそが

ちぐはぐになったような気持ち悪さに襲われる。

その気持ち悪い感じは27時間以上経った今でも全く消えなくて、

それでこんな夜中に起き出して、

1時間以上もかけて、

こんな日記を書いている。

日記の移行例(FC2)

関心空間の移行について、一括で移行する方法が案内されました。

私は、それ以前に(か、その案内に気付かずに)、ちまちまと手作業で日記を移していました。

それで今回、一括で移行する方法(今回は取り敢えず日記のみ)を試した所、無事、日記が移行されました。

が、既に手作業で移行済みの日記については、(当然のことながら)二重投稿になっています。

ちょうどいいので、2つの違いと、

また、FC2への移行例として、

手作業と一括と、両方のリンクを貼り付けてみます。

(デザインは、「空間」風にはしていません)

五輪閉会式で暗くなる。

リオ五輪が幕を閉じました。

閉会式後半、

五輪旗が日本に渡り、君が代の合唱が流れ、

その後は東京五輪のショーでした。

……悪く無いんだけど正直ガッカリ。

開会式が緑いっぱい、平和いっぱいムードだったのに対して、

TOKYOは近未来都市と夜のイメージ。

TOKYO=テクノポリス

というイメージは、その昔、YMOが発信したもの。

そこから時が止まってる。

椎名林檎さん監修という音楽も、

グラマラスなんだけど、それも所詮、グレンミュラーの真似事、

アメリカンナイズされた末路を露呈しているだけ。

つまりはみんな「西欧から見たジャパネスク」、

みんなが期待しているTOKYO全開、

何をそんなに媚びなきゃならんのか、

それとも、

これを手がけている人達は、

もう既に私と同じ日本人じゃ無くなっているのか。

日本はもともと自然と共に生きてきた国。

山も川も神様だった国。

自然と共存して来た国なのだから、

開会式のメッセージ(緑と平和)に呼応したショーができたはず。

極めつけは安倍晋三

電通の媚び売り丸出し。

大観衆の中心で手を上げる我が国の総理は、

失礼ながらヒトラーにそっくり。

TOKYO 2020、お先真っ暗な気分です。

五輪と関心空間

いつからだろう?

サッカー日本代表を応援しなくなったのは?

今回の五輪を迎えて、応援しなくなった、いや、したくなくなった理由が改めて判った。

それは、日本がもう、持てる国だからだ。

金持ちで、恵まれてるからだ。

体格的にも、劣ってないからだ。

弱い者が強い物に挑む。

小さい者が大きい者に挑む。

だから応援したくなる。

どうやら私のマインドはここにあったらしい。

戦後の日本は、

貧乏で、痩せっぽちな挑戦者だった。

高度経済成長を迎えて、金回りが良くなっても、

その金回りが体格に反映するまでは少し時間がかかったから、

その後しばらくは応援したい気持ちが持続したのだろう。

サッカーについて言えば、

私の世代(「昭和42年生」年)では、まだまだマイナースポーツだったから、

子どもの頃からの、

「この競技をみんなで盛り上げていこう!」的な雰囲気が、

大人になってからも、

しばらくは持続していたのだろう。

日本はもはやチャレンジャーでは無くなったが、

横綱相撲も取れない、

一人一人の選手は応援したいけれど、

オールジャパン?とやらを応援する気持ちは全く湧いて来ないのだ。

それにしても、

当然の様に強くて、

当然の様に勝つ、

その為には、国際ルールさえも変えてしまう。

それを維持するのも、まぁ、一苦労なのでしょうが、

そこにナショナリズムを感じて奮起出来る、

大国の人達のお気持ちは、

如何なるものなのだろうなぁ……