読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハカジマイ。

今は無き、関心空間という空間からダイブして来ました。

2016年秋

台風が行列して待っているような年。

日本列島を縦断するために、日本の南側で順番待ちしてるみたい。

秋雨も何もあったもんじゃない。

サラサラと長雨が続く、

一雨ごとに寒くなってゆく、

なんとなく、

心細く、淋しくなるのは今も昔も同じだけれど。

吉田拓郎がテレビに出てた。

もし自分がバラバラ死体になって発見されたとして、

右手だけとか、右脚だけとかで、

あの人は私だと気付いてくれるだろうか。

そんなことを考えるようになったのは、

20代の前半からだったか、

もしかするとまだ10代だったかもしれない。

先日、テレビで吉田拓郎を視た。

テレビに出ているその人は、

吉田拓郎だと言っているし、

共演者の人もそう言っているし、

画面右隅のテロップにもそのように書いてあるし、

唄っている映像が流れた時には、

ああ、確かに拓郎の声がしているようなんだけれども、

その顔は、

どうしたって拓郎その人とは一致しないのであった。

それにしても、

今、テレビに映っている人が拓郎だとして、

拓郎は、今70歳だと言っているけれど、

当時と同じキーで唄っているんじゃないか、

ひょっとして、当時より高い声なんじゃないか、

いや、

高く聞こえるだけなのかもしれない。

拓郎の拓郎たらしめる、

ノイズにも似た、

あの音(声)が聞こえない。

メロディにくっついて離れない、

あの、拓郎の音(声)が聞こえない。

けれども、

旋律は確かに拓郎の声なので、

「ああ、確かに拓郎かもね」

と思えるのだけれども、

その声を出している人の顔は、

拓郎その人とは一致しないのであった。

VTRでは、

各年代の拓郎の画像が流されて、

最後に50代の拓郎が映っていたけれど、

その時の拓郎は確かに拓郎なのに、

今、テレビ画面に映っている人は、

やっぱり私の中の拓郎とは一致しないのであった。

こういう時、

私はいつも、

右の脳みそと左の脳みそが

ちぐはぐになったような気持ち悪さに襲われる。

その気持ち悪い感じは27時間以上経った今でも全く消えなくて、

それでこんな夜中に起き出して、

1時間以上もかけて、

こんな日記を書いている。

日記の移行例(FC2)

関心空間の移行について、一括で移行する方法が案内されました。

私は、それ以前に(か、その案内に気付かずに)、ちまちまと手作業で日記を移していました。

それで今回、一括で移行する方法(今回は取り敢えず日記のみ)を試した所、無事、日記が移行されました。

が、既に手作業で移行済みの日記については、(当然のことながら)二重投稿になっています。

ちょうどいいので、2つの違いと、

また、FC2への移行例として、

手作業と一括と、両方のリンクを貼り付けてみます。

(デザインは、「空間」風にはしていません)

五輪閉会式で暗くなる。

リオ五輪が幕を閉じました。

閉会式後半、

五輪旗が日本に渡り、君が代の合唱が流れ、

その後は東京五輪のショーでした。

……悪く無いんだけど正直ガッカリ。

開会式が緑いっぱい、平和いっぱいムードだったのに対して、

TOKYOは近未来都市と夜のイメージ。

TOKYO=テクノポリス

というイメージは、その昔、YMOが発信したもの。

そこから時が止まってる。

椎名林檎さん監修という音楽も、

グラマラスなんだけど、それも所詮、グレンミュラーの真似事、

アメリカンナイズされた末路を露呈しているだけ。

つまりはみんな「西欧から見たジャパネスク」、

みんなが期待しているTOKYO全開、

何をそんなに媚びなきゃならんのか、

それとも、

これを手がけている人達は、

もう既に私と同じ日本人じゃ無くなっているのか。

日本はもともと自然と共に生きてきた国。

山も川も神様だった国。

自然と共存して来た国なのだから、

開会式のメッセージ(緑と平和)に呼応したショーができたはず。

極めつけは安倍晋三

電通の媚び売り丸出し。

大観衆の中心で手を上げる我が国の総理は、

失礼ながらヒトラーにそっくり。

TOKYO 2020、お先真っ暗な気分です。

五輪と関心空間

いつからだろう?

サッカー日本代表を応援しなくなったのは?

今回の五輪を迎えて、応援しなくなった、いや、したくなくなった理由が改めて判った。

それは、日本がもう、持てる国だからだ。

金持ちで、恵まれてるからだ。

体格的にも、劣ってないからだ。

弱い者が強い物に挑む。

小さい者が大きい者に挑む。

だから応援したくなる。

どうやら私のマインドはここにあったらしい。

戦後の日本は、

貧乏で、痩せっぽちな挑戦者だった。

高度経済成長を迎えて、金回りが良くなっても、

その金回りが体格に反映するまでは少し時間がかかったから、

その後しばらくは応援したい気持ちが持続したのだろう。

サッカーについて言えば、

私の世代(「昭和42年生」年)では、まだまだマイナースポーツだったから、

子どもの頃からの、

「この競技をみんなで盛り上げていこう!」的な雰囲気が、

大人になってからも、

しばらくは持続していたのだろう。

日本はもはやチャレンジャーでは無くなったが、

横綱相撲も取れない、

一人一人の選手は応援したいけれど、

オールジャパン?とやらを応援する気持ちは全く湧いて来ないのだ。

それにしても、

当然の様に強くて、

当然の様に勝つ、

その為には、国際ルールさえも変えてしまう。

それを維持するのも、まぁ、一苦労なのでしょうが、

そこにナショナリズムを感じて奮起出来る、

大国の人達のお気持ちは、

如何なるものなのだろうなぁ……

7/12・歴史に立ち会った瞬間。(都知事選)

火曜日、鳥越俊太郎さんが都知事選への出馬の意向を示すべく、記者会見を行った。

櫻井パパに護ってもらった大手民法4局は、それを中継し、スタジオでは「野党分裂」を印象づけるコメントを繰り返し行っていた。

私は民法と、ネット中継を同時に点けていた。

鳥越さんの表明が一通り終わって、これから質疑応答という段になった所で、何か耳打ちされた鳥越さんが舞台裾を見るなり「ハハハ!」と笑った。

古賀さんさんがいらっしゃいました~皆さん!古賀さんがどうしてここにいらっしゃるのか、僕もわかりません!」

司会の女性も、あれ、ほんとだ!という感じで「ハハハ」と笑っておられる。

本当に突然現れたのだろう、正に「ひょっこり」と古賀さんが立っている。

鳥越さんに促されて舞台中央まで歩いてきた古賀さんは、差し出された鳥越さんの手をガッチリ握り、記者団に向かって、「私は以前から鳥越さんを応援して来た」旨をハッキリと伝えた。

「野党分裂」の印象を払拭する、天晴れな行動だった。

鳥越さんの質疑応答が終わる直前、

今度は、ジャーナリスト上杉隆さんの出馬表明会見が開始された。

こちらは大手民法では放映されず、ネット中継のみでの視聴になる。

鳥越さんと比べて閑散とした会場。

しかし、上杉さんの会見は、長い語り口でふるわない。おまけに司会からは、後ろもあるのでもう切り上げて欲しい、という催促まで来る始末。

普段の上杉さんからは想像も付かない、笑いを挟まない真面目な会見だった。

彼は、マスコミへの華々しい「お披露目」ではなく、都民に語りかけるような地道な「政策表明」を行ったのである。

上杉さんの会見が終わり、質疑応答になった。

会場で挙手しているのは只一人だけ、それが古賀さんだった。

鳥越さんが会見を行っているホテルから、上杉さんが会見している都庁まで移動して来ていたのだった。

しかし、上杉さんも古賀さんの名前を出さず、古賀さんも名乗らず、カメラは古賀さんの後ろ姿だけを映している。

ネット中継のコメントを見る限り、それが古賀さんだと気付いている人は少ない。

古賀さんは、鳥越さんの会見場と同じことをたずねる「野党共闘は視野にあるか、それに応じる意思はあるか」。

上杉さんは、「もちろんある、オープンな場でやりたい」と応えた。

古賀さんは本当に真の意味での官僚なんだなぁと感じた。

裏方や下働きが出来る人だ。

この古賀さんの働きは、後世、語り継がれる出来事になるんじゃないか、

いや、語り継がれなくても、私の胸には刻んでおこう、と思った。

上杉さんの話では、官僚を辞めた時に退職金を辞退したということだが、本当に誠実な人だと思った。

会場は、その後質疑応答に入ったが、今度は記者達が冴えない。

鳥越さんの会見で意気揚々と揚げ足取りをやってた記者達が(まぁ、同じ人ではないが)今度は逆に、上杉さんの「政策」があまりに詳細なため、記者達がツッコミたくてもツッコめないでいるのだ。

ところが、この地味だが素晴らしい記者会見、(古賀さんは「感銘を受けた。」と書いていた)この記者会見が、テレビでは全く放映されない。

野党共闘の以降を示している宇都宮さんを、もう出馬したかのように取り上げて、

小池、増田、鳥越、宇都宮 の四氏をスタジオに招いている。

翌日になっても、それは変わらなかった。

本当に腐ってるな、テレビ。

と思っていた矢先、なんと産経新聞(web版)が上杉さんの会見を大きく取り上げていた。内容も、改ざんされてない公正なものだ。

こんなこともあるのかね。

(もしかして「票を割らせる作戦」か、それに見せかけた記事作戦か?)

そういや、こないだもマトモな記事書いてたな、産経web

<産経ニュース(web)>

東京都知事選・上杉隆氏出馬会見(上)】

「もう党利党略はうんざり」「財源はある。私は知っている」

東京都知事選・上杉隆氏出馬会見(下)】

古賀氏のサプライズ質問に「政策論争喜んで」「ネットで新しいスタイルの選挙をやりたい」と意欲示す

誰かとどこかで

永さんも逝ってしまった。

小沢昭一さん、そして野坂に続き、

最後に残った永さんまで。

「誰かとどこかで」

戦争を語り継いだ、

このトリオに今度会えるのは、

終にあの世になってしまった。

またも野坂の死が重くのしかかって来る。

永さんを通じて野坂の存在を感じて取ろうとしていた、

その浅ましい根性に打ちのめされる。

今、改めて、この偉大なるトリオ(*)のご冥福を

心よりお祈り申し上げます。

野坂塾では何かトリオ名が付いていましたが、情けないことに思い出せないことに今気付きました。

----

関連日記

おもちゃのチャチャチャ

罵倒、もしくは追悼。

・ 誰かとどこかで(この頁です)

「4歳と14歳で、生きようと思った」