桜並木とまでは行かないけれど。
桜並木とまでは行かないけれど、
等間隔にソメイヨシノが植えられた道を行く。
道は舗装されてて車も走る、何の変哲も無い、普通の道路だ。
コンビニまで歩いて何も買わないで帰る。
日向の桜はもう満開、
日陰の桜はまだ蕾だ。
毎年毎年、
時間差で咲いている。
そうか、毎年みんな「咲いている」んだなぁ。
一本残らず。
そっか。
みんな咲くんだ。
一月遅れでも、
日陰の桜は毎年咲いている。
そっか。
私も頑張ろう。
20年遅れだって、
(あ、いや、もっとか? )
いいじゃあないか。
「あさが来た」良く出来たプロパガンダ
なんでも視聴率が今世紀最高だったのだそうで。
(今世紀? って21世紀に入ってからのことですよね? )
で、私もご縁あって只視していたわけですが。
泣いたり笑ったり、楽しませて頂きながらも、
一方で、いつも常に感じているドラマへの違和感……
ちょうどよい機会なのでその違和感について、箇条書きにしてみました。
<「あさが来た」違和感(1)~(7)>
(1) 年寄りがみんな若くて美しい
NHKの朝の連ドラと言えば女の一代記、娘役から老け役までこなす、というのが定番だと思っていたのですが……
いやまぁ、美しい。全く老けてない、年齢に見えない若さです。それはヒロインだけでなく、登場人物みなさんそうでした。
今のお年寄りって確かに若いですよ。けど、ねぇ……
年寄りってこんなもんですって若者には嘘の刷り込み、年寄りにはプレッシャーを与えているようで、私にはどうも好感が持てませんでした。
(2) 生老病死がもれなくアッサリ
このドラマでは主人公の身近な人達が亡くなって行くわけなんですが、五代様を除いて、みなさまほぼ老衰でした。
その死んで行く人達が、はぁ、みなさん世話ないわけです。
老いて床に居着いたにせよ、
病気で伏せがちにせよ、
みなさん誰の手も患わせません。
苦しんでいる様子もあまりなく、家族に囲まれて幸せにご臨終を迎えます。
まるで、「在宅介護ってこんなもんですよ」って誤魔化されているようです。
いやはや「金持ち喧嘩せず」。
(3) "女傑" を描きながら一方では"奥様"を高評価
主人公「あさ」の女傑っぷりを描きながら、
一方で、良妻賢母&内助の功を実に美化して描き出しています。
巷では、女子は「あさ」よりも「はつ」派が多いとかネットで目にしましたが(これ、本当なのかねつ造なのかあやしいとこですが、いずれにしても)、
あのね、あのドラマの「奥様」方が優雅にお暮らしなのは、お金持ちだからですよ? ってかドラマだからですよ?
それとも何ですか? 玉の輿を推奨してるんですか?
……なんだか1986(昭和61)年の男女雇用機会均等法を思い出します。
あの時政府は「第三号被保険者」というものを作り出しました。
その広報ポスターのキャッチフレーズは「サラリーマンの奥さんは年金払いません」(だったかな?)
エプロンした奥さんがぴょーんって飛び跳ねてるポスター、忘れられません。
本音と建て前、アクセルとブレーキ、
いや、大きな自己矛盾かな?
女には奥に居て家事育児介護をしてほしい、
ああけど労働力が足りないし、国連もやいのやいの五月蠅いし……
昔の女みたいに、黙って何でもやってくれないかなぁ……ってのが本音じゃないでしょうか。
(4) シゴト=外で働く は、ちと苦しい
主人公「あさ」が外で働くことへの批判? お嬢さんの淋しい気持ちとか、そういうのをどうのこうの書いているわけですが。
こういう論争って……20年とか30年とか前によくありましたよね……なんで今更? って感じでした。
番組としては「仕事」=「勤める」転じて「外で働く」転じて 「あさのシゴト」を重ね合わせているようですが、
あさは、自営業で経営者なので、その辺、かなり無理があるように思いました。
(5) 女中も奉公人も同じテーブルで歓談
これね、かなり違和感がありましたよ。
日本はそんなに昔からこんなに民主的な国でしたかね?
私は「昭和42年生」年生ですが、私の世代でも金持ち一家の「女中部屋」は見た事がありますよ?
女中の扱いは奉公先によってだいぶ違うんでしょうけれど……私はそれこそ「びっくりぽん」でしたわ。
奉公人の愛之助の待遇にしても、良すぎやしませんか?
まぁ縁故ってこともありましょうが、布団が三枚川の字に敷ける広いお部屋を持たされて、
しかもドラマ上では「狭い所でごめんな」って。
愛之助の部屋くらいの間取りで一家4人で暮らしている家、私の世代でも珍しいことではありませんでしたよ?
そもそも長男で跡取らないって……う~んリベラル。
弟の養之助にしても、二十歳になったら嫁取りって……
二十歳、二十歳とやたらと二十歳と言ってましたね。
「あさ」や「はつ」は子どもの頃から許嫁がいたのに?
私の祖母の時代でも、まだ、「初潮が来たら嫁に行かせる」というのはまだあったようですが……?
日本は、幼年で結婚というのは珍しくなかった筈です。
また、養之助は戦争から何事もなかったように戻って来ます。はい。
(6) 礼(お辞儀)が変
これね、私だけですかね?
みなさんのお辞儀が、外国のプリンセスみたいに膝を折る感じなんです。
あさもあさの娘も、夫の新次郎もみなさんそうです。
私も以前、「心持ち、膝を折ると丁寧なお辞儀に見えます」と言われたことはありますが、「心持ち」ですよ……?
肝心な頭は垂れてないし……
かなり違和感がありました。
(7) 平塚らいてふ(いわずもがな)
これ、いわずもがなですかね?
なぜに大島優子さんってこともありますが、
なぜにわざわざらいてふを出す?
しかも本名で?
フィクションなら成澤のように名前を変えて欲しかった。
違和感満載、らいてふ大安売り、悲しい。
ついでにいうと「日の出女子大」もどうでしょうか?
「日の出女子大」というと、なんとか女子大、うんたら女子大と、数多ある女子大の中の一つみたいじゃないですか。
日本に女子大学が無かったからこその「日本女子大」じゃないですか?
不思議な春。
若い友人のAさんが、
朝の連ドラを視て、
「自分の子どもと一緒に大学に行きたいなんて、あれ?眉毛(姉)さんと同じこと言ってる、こーんな人が実際にいたんだーって思って!」
と話してくれた。
いや、それを言うなら私の方が主人公に似てる、でしょ?
暦よりも、いわば「Aさん歴史」の順番(朝の連ドラが始まるよりも前に眉毛(姉)さんに出会ってた)で話しをしているAさんが、いかにもAさんらしくて、なんだか訂正しそびれてしまった。
そして実際の私は子どもに恵まれなかったが、そして大学の創設にも関わらなかったが、というか、ヒロインの様な偉業を為し遂げるどころか、ほとんど世間から漏れ出ている「モレ人」になって久しい訳ですが、
まぁ、大人になってから自力で大学へ通ったのは事実だし、「女に学問は不要」という考え方のイエで育ったこともまた、事実な訳です。
なので、私がヒロインに似ているかというと、まぁそういうことも言えなくはないのですが、もう少し正しくいうと、
時代錯誤に古いイエに育った、
つまり、
我が生家が時代錯誤に古いイエだった、
ということが真実なのでありましょう。
そんな拙者が今春、お陰様で学位を頂けることになりまして、
その春がまた、例の朝ドラの最終回を迎える暦に当たるとは、
なんだかちょっとだけ不思議な巡り合わせ?などと感じたりしております。
みなさまに、感謝。
本当に痛い目に遭う前に……
フリンでは辞めた人は大々的に報道し、
汚職で辞めることになった人は叩くどころか祭り上げる、
なんちゅー世の中なんだ、21世紀。
「最低でも県外」発言で結果的にぶっつぶされた鳩山政権、
時の総理の鳩山さんが、「米軍との約束で県外移転は無理でした」とお辞めになった、このきっかけとなった文章が、
実は官僚がでっちあげた嘘の米文書だったということがこの程判明(→琉球新報)、
宇宙人とあれだけ叩いたマスコミ様は、このこともあんまり報道しない。
マスコミもマスコミですが、そもそも二課はなにしてんでしょうか、全部スルーですか。
私達もまた、スルーですか。
一揆も革命も、
虐げられ、虐げられ、虐げられた人々が立ち上がったものだ。
失う者が無い人々のエネルギーだ。
そこまで失わなければ、
私達はこの異常さに気付けないのだろうか。
罵倒、もしくは追悼。
野坂の死が、じわりじわりと効いている。
ココロの穴は、
埋まるどころか、
じくりじくりと膿んできているようだ。
しんどい。
野坂との出逢いは、いつだったのだろう。
中学の頃だろうか。
以来、相当永い間、
古本を買い漁り、
読みふけった。
ある時阿佐ヶ谷で、
野坂塾というのがあることを知った。
小さな貼り紙を頼りにたずね、
その後何年か阿佐ヶ谷に通った。
あの年、
小沢昭一さんと、
永さんと、
野坂とで、
コンサートを開くと盛り上がっていた。
私たちもいの一番でチケットを買って、
当日を前に大いに盛り上がっていた。
矢先、
野坂が倒れた。
その後、
野坂塾が再開されることはなかった。
できることならば、
またあの阿佐ヶ谷で、
またみんなで集まって、
野坂のバカヤロー!!
チケット代半分返せ!!
と叫びたい。
そして、
ぽつぽつと、
彼の死を、
確認したい。
----
関連日記
・ 罵倒、もしくは追悼。(この頁です)
・ 誰かとどこかで